2年半の沈黙を破って、初めてエラン ツーリングに中太さん、なべちゃんと参加してきました。
今回も、体力に不安があること、nomi号のエンジンが新品であることなどを考慮して、優秀なナビを確保しての出発です。エリートオーナーのなべちゃんと黄色のシリーズ4の中太さんとともに、朝10:00ころに広島を出発しました。チャップ師匠にも参加を打診しましたが「体力の限界」との事、残念!中太さんも前日扁桃炎の発熱を来たし、点滴を打っての参加です。大丈夫か?
写真左は最終点検を受ける nomi 号。実は馴らし運転は100Kmそこそこで、昨日オイル交換をしての出発です。
写真右は同行した中太号。各所に手の入ったチューニング エランです。
前回の京都行きと同様とても天気がよくて気持ちのよいドライブです。私は nomi 号の助手席でらくちん旅行です。山陽ー中国ー名神ー東海北陸自動車道 と進み各務原インターで降り、ナヴィに従って無事H.A.邸に到着しました。
17:00 ころ岐阜に到着し、しばし H.A.さんにガレージでL爺号など戦前車のお話をお聞きしながら休憩。
伝説のひっくり返ったセヴン、素晴らしいコンディションのジャガー E タイプやエランを鴨るMG−B、戦前車の深〜いお話などとても興味深く聞かせていただきました。晩御飯は奥様もご一緒に某所で楽しく頂き、ホテルまでの送迎までしていただきました。写真は翌朝お迎えにきていただいた時のものです。と言うことで、会長さんを前日より前借したのは広島勢でした。どうも、ご馳走さまでした。(毎回すいませんー3回目でした。)
今回のイヴェントを説明するため(実はこの記事を書きながら自分でも再確認しているわけですが)大まかな行程の地図を掲げておきます。
会長さんの行動にあわせる必要がありましたので、少し早めに会場の美濃加茂市 日本昭和村 平成記念公園駐車場に到着しました。途中ETCトラブルでヒヤットしました。写真左は到着直後、右は集合時刻の会場です。アングルが違うので比較しにくいですが広い駐車場がエランで一杯になりました。
事務局がしっかり準備をされたことが十分に伝わってくる、ずっしりした重みのある封筒を受け取ります。広島勢はJ組の43番、44番で最後尾でしたが、写真のように蓮車親爺号がスイーパーの役で後ろから援護してくださる絶好のポジションでした。
会場でJ組のリーダーのリバランさんとご挨拶。ややっ!見たことのあるエラン。リバラン号はかつてのらん○号でした。とても調子はよいとの事。リバランさんはとても紳士的で物腰の柔らかい方だったので安心していたら、走りは別物。アクセルを緩めるとあっという間に離されてしまいます。と言うことで途中の写真は取れていません。
5月の高山はまだ桜が残り、山には白樺林があり、また、きれいなダムの景色ありと、素晴らしいコースでした。nomi号はおろしたてのエンジンでしたが、とても調子よくトラブルなしでした。中太号は後ろで轟音を響かせていました。nomi号が少し鞭を入れてもあっという間に車間距離を縮めてしまいます。
今回のチームを編成してリーダーを中心に行動するパターンはとてもよかったです。4〜5台なら結構思いっきり走れる場面もあるし、道に迷って迷惑をかける心配も少ないし。コマ図を頂いていましたがまったく見ることはありませんでした。
写真は昼食のお弁当を頂いたパスカル清見の休憩所です。蓮車親爺さん一家はここでお弁当を配ったりなど、総出でサポートをしてくださりました。
午後はひとっ走りの後、グライダー用の飛行場”飛騨エアーパーク”の駐車場(こんなところに飛行場があるなんて!と言うようなロケーションでした。)を会長のお力で貸切にして、”寸止め”とタイムトライアル形式のジムカーナを行いました。クライダー飛行の趣味とエラン道楽には一脈通ずるものを感じ、なかなか趣のある演出でした。
エランで競技に参加するのは初めてです。”寸止め”はギャラリーの顔色を見てはいけないとの忠告にもかかわらず、ギャラリーにのせられてオーバーし失格でした。ジムカーナは、Mic さんに内緒で教えていただいて、「Mic 号なら39秒かかる。」コースとのこと。43秒にもっとも近いエランが優勝の条件でした。ミスコースしたら恥ずかしいなと緊張しつつ、1本目をスムーズに走れたと気をよくして2本目に入りました。このとき、またギャラリーから「かなり速く走れ。」との一言を頂き、逆に考えてゆっくり走ったら60秒越え。ギャラリーの言うとおり、1本目でもかなりの遅着であった由。撃沈ー26位でした。中太さんもほとんど同様の成績ー悪い見本を見せてしまったようです。すんません!
写真左は会長より全開走行を禁止されたユーケン号と計測を光電管でしてくださったSHCCのメンバー、右は蓮車親爺さんのもとで甦った虎爺号です。なんだか変な印象なのは、ガラスがまだ入っていないからです。わざわざ積車でジムカーナ会場まで運び、みごと復活のデビューを飾った様子です。
競技が無事に終了するとお決まりの集合写真の時間です。
と、ここで粋なサプライズ。グライダーのための飛行場ならではの演出で、グライダーを引っ張る飛行機をわざわざ飛ばして、しかも、プロのカメラマンを乗せての空撮。エランたちを整然と並べましたが、一部に「車でELANと書けばよかった。」との声あり。写真右はカメラマンさんのご好意で参加者に公開されたものです。
その後は本日の宿 高山グリーンホテル に直行すべく、飛騨高山の赴きのある町並みをエランで暴走。ホテルの駐車場でまたサプライズ。私のホームページに最初に反応してくださったネット上の恩人 Kazusei26 さんと初めてお会いすることが出来ました。
お風呂を頂いていよいよパーティーです。デジカメを忘れていったので携帯の写真で申し訳ない。
パーティーも趣向が凝らされていて、競技の成績発表、遠来賞ーこれは同行した中太さんが西の遠来賞の栄冠に輝きました。東はチームエランのウイーンさんーなどなど、型どおり進行されていると思いきや、急に結婚式ムードになりビックリ。チームリーダーの一人 +次郎さん が最近ご結婚になったとの事で、ロータスマークがデザインされたウエディングケーキの入刃式がありました。ケーキはしっかりいただきました。おっと、パーティーのお食事もとてもおいしかったです。
パーティーのメインイヴェントはなんといっても”ビンゴ大会”でしょう。
蓮車親爺さんらしい趣向で、通常のビンゴとは異なり、参加者が一旦事務局にそれぞれのお宝を寄付します。事務局がそのお宝の市販価格の1/2程度の値段をつけます。ビンゴであがった人から好きなお宝をゲットできますが、事務局がつけた値段に今回の東日本震災の義援金としての志を沿えて買い上げるシステムです。私は結構早く上がったので、中太さんがほしがっていたロータスロゴ入りのショルダーパットを手に入れ、その後、中太さんがゲットした得体の知れない写真のぶつと交換しました。と言うのも、中太さんはお酒が呑めないので西の遠来賞のワインを私に下さったお返しです。これがいいんですよ。SHCCオリジナルのラベルが貼られたワインです。うれしい!
この募金活動には蓮車親爺家のご令嬢が大活躍であったことを付け加えておきます。おじさんたちの財布の紐がずいぶんと緩んだことでしょう。後日、集計の結果18万円あまりが集まったとのことでした。大成功!
二日目は二日酔いで始まりました。
パーティーで気分良く飲みすぎ、寝る前の花粉症の薬を飲み忘れ、朝は息苦しくて目覚めました。朝食もほとんどとれず、前日仕込んだアルコール燃料を頼りに始動しました。出発からちょっとした失敗。広島勢はしんがりなのでゆっくり出発と思っていたら、皆さん 9:00 には出発され駐車場はもぬけの殻。リーダーのリバランさんがやさしく微笑み、「そろそろ行きましょう。でも、実は私も道が良くわからないところがあるんです。」-------。
何とか、先行したグループに追いつき、全長13Km(だったっけ)の長いトンネルを抜けるとそこは白川郷でした。
さすがに世界遺産ですね。長瀬家の中に入ってしばし社会のお勉強。写真は白山系の雪が残る頂を背景にした典型的な白川郷の風景です。水が豊富で川には鱒や鯉が悠然と泳いでいました。ここで沢山のお土産をゲット。
毎回そうですが、楽しい時間ほどアッと言う間に過ぎてしまいます。
白川郷から岐阜に向かって”やまびこロード”をプチツーリングし最後の集合場所 道の駅 白尾ふれあいパーク に到着しました。
ここでもチョッとした失態。遅着しトイレに行っている間に、ありがたい会長さんの最後のご挨拶を聞きそびれました。すんませんです、ハイ。
第5回は長野県で行われると風の便りに聞きました。
ここから広島までは約500Km。皆さんへのご挨拶もそこそこに、中太号とともに近隣の白鳥インターより帰路に着きました。途中、名神で事故渋滞との情報あり、名古屋市方面に抜け、新名神を通って帰りました。
今回は約920マイルの冒険でした。素晴らしい企画、運営をしてくださったE.O.C.J Central の皆さん、ナビとドライバーとして助けていただいたなべちゃん、同行してくれた中太さんに感謝です。
楽しかったです。皆さんありがとうございまいた。
P.S.イヴェントの間に53歳になっていました。自分への最高のプレゼントになりました。